彼は、日夜事案の解決に悩み苦しんで解決策を模索したのであろう。彼なりに事案と制度の枠組について調べもし、調べようとしたが果たし得なかったのであろう。とすれば、少なくとも自分が依頼者本人であったならば実施したであろう調査を行い、その結果採りうると結論づけ、実行したであろう諸方策を全て試みるのは最低限の義務である。そして更になお職業上の信頼にこたえて、善良な管理者の義務を尽くすこと、これが「誠実」の徳というものであろう。
委任状一枚の信頼で相手方と接すると、接触面は依頼者より相手方のほうが大きくなり、相手方が豊富な物量−情報で依頼者の非を鳴らしてくると「ウン、そうか依頼者の方が悪いか?」と呑み込まれそうになることがある。こんなとき、不足した事情聴取を補って、更に依頼者に反論の事情を聴取し常に依頼者の立場に立つことが大切で、これが誠実の徳と言うもので教官が語られたのはこのことかと納得した。
実務庁の前橋地検で斉藤正吉検事が「取り調べをしていると情が移るだろう。取り調べてきて、『良い男だなあ、世の中にこんな良い男がもう一人といるだろうか』と惚れ込んだ被告人に平然と死刑を求刑して、検事も一人前だ」と言っておられた。被害者のそして公益の代理人としての検事の立場を職務のうえから訓されたのが、取り調べ修習という体験から実感をもって聞けたのが思い出される。
弁護士とて同じことである。斎藤検事が公益の代表として私情を捨てて職務を遂行することの正しさを力説されたように、私情として相手方を理解しても常に依頼者の立場に立ってその信頼に応えること、これを誠実というのだろうと思っている。かくいうは、事案の本質を見極める努力を否定するものではない。事実関係について認識の違うところは依頼者によくただし、事案の正確な認識を得なければ、その事案の妥当な解決は得られない。常に依頼者の立場に立ちながら公平妥当な解決を目指し「先生が入ったのだから安心だ」と相手方からも安心されるという社会の信頼が得られるような仕事をしたい。
時々契約や示談で「弁護士さんが仲に入ってきめたんだから間違いありません」と言われることがあり、弁護士への世間の信頼とうれしくきいている。それで良いし、正しいと思う。
ある離婚事件で妻の代理人として夫と折衝していたのだが、調停の席で「弁護士というのは依頼人の言うことをきいて交渉するものだと思っていたら、先生は私の立場も分かって下さったので調停案どうりで結構です」と突然私への信頼を夫が強調するので妻からかえって不信の目で見られて困った。公正妥当な解決を図ることは弁護士として当然のことながら依頼者の利益のための解決であることを理解してもらうことも大切である。
パーリー判事は職務遂行上の誠実を強調しておられる。自分なりの「誠実」についての所感は委任状(弁護人選任届然り)一枚に生涯をかけて恥じないこと、これを「誠実」といい法曹の徳目の第一にあげられることに今不満はない。