「誠実」
第一の徳目を「誠実」と掲げられており、何か眠くなるような徳目だなあ、もっとカッコイイやつはないものかと当時は不足に感じたのを思い出す。
研修所の修了講義のとき、萩原太郎刑裁教官がケネディコインの裏側に刻まれている文言を示されて「誠実は証明せられなければならない」と説かれた。法曹にとって最も大切な徳は「誠実」であると、講義のコマの殆どを費やされた。教官の言っておられることがよく飲み込めず、訳の分からん徳だなあ、もっと格好良い勇気とか決断とかではないのかと不満に思い理解出来ない不安からケネディコインを求めて英文の“Sincerity must be proved”(証明されるべきは誠実である)であったか、何のことだろう、どんなことだろうとコインをひっくり返しては眺めてみたが、分からないままいつの問にかコイン自体も失せ文言もおぼろになってしまった。
そして、誠実の意味するところが分からないまま弁護士になって仕事をしていた。あるとき、成る程、誠実とはこのことかと気づいたというか自分なりに理解した。即ち、一枚の委任状に着手金を添えて依頼をうけると、もう誰も監視していない。手抜きは弁護士としての自殺行為ではあっても弁護士の腕様々だ。俺の腕こんなものだと言い逃れをするならば、如何ようにも言い逃れができ、如何ようにも怠けられよう。事件は一つだけ受けているのではない。この着手金にしてこの事案でかけられる時間はこんなものさ、と考えられもしよう。休息も慰安も許されて然るべし。その時間を削る必要があるものかとも。
しかし、どんな事案であれ、どんな額の着手金であれ、依頼者は弁護士が誠心誠意事案の解決に努力してくれると信頼して任せたのである。依頼者は自分で、あれこれ調べ考え、手に負えないからこそ、事案の解決能力をもっている専門職業の弁護士に依頼したのである。個人的信頼と職業的信頼とを重ね合わせて信頼してくれたのである。これに応えるのは、契約上の義務であり且つ職業的倫理である。