4 法文を読め (『法律学楽想』p47〜48)

われわれは法文の解釈を学んでいる。ということは法文の意味内容の確定作業をしているわけである。現実に法文さえ知っていれば解決する紛争も多いのである。学生時代には、法理論の面白さに興味を奪われて法文がおろそかになりがちであった。今、研究対象をおろそかにして、「なんの研究ぞや」である。多くの法文は立法担当者が衆知を集めて練りぬいた文章であって、読むに足るものである。のみならず風雪に耐えたものは美文といっても過言ではない。こういう文に接した折には心躍るものがある。
例えば、民法三条一項、「私権の享有は出生に始まる。」とある。
この一行に満たない法文の中に近代精神が、市民革命の成果が燦然と輝いているではないか。この条文ができる前には私権の享有を許されるのは一定の身分ある者という限定があったのだ。「ひとしなみに人として生まれさえすれば何の制限もなく私権の主体となることができますよ」というのがこの条文だ。確かに解説書にある通り、私権の始期を意味するものであるが、この条文が制定された背景を考えるならば、激しい権利闘争の末、「四民平等、何人も権利の主体たり得ますよ」という沿革的意味は大きく、これを美文と言わずに美文はありえない、と思う。
法文が生まれるには必然であれ、苦難を経てであれ、その背後には人間の営みとしての社会、経済的実体がある。法文の背後に思いを致し、生涯付き合うことになる法文と心を通じ合う事が大切と思う。